2013年12月5日、ネルソン・マンデラ逝く。人を憎しみの連鎖から解き放ち、すべての人間の尊厳を求め続けた魂の巨人であった。
10年前、私は南アフリカで2年余りの歳月を過ごした。ヨハネスブルクから遥か3000キロ。目を閉じれば、彼の故郷ウムタタの草原を渡る風の音が聴こえる。乾いた草の匂い、射るような陽の光、手を伸ばせば届きそうな青すぎる空が、大地をすっぽり包んでいる。地球最古の大陸、アフリカの大地はどこまでもゆるやかに広がり、限りない包容力に充ちていた――。
アフリカにいて自然や風土が人を作っていくのだとつくづく思う。マンデラが子供時代を過ごしたウムタタ郊外のクヌの広大な草原の谷を見下ろす丘に座ると、遥かな惑星にいるような錯覚に陥る。自分自身が宇宙の懐に抱かれ、地球船に乗って漂っているような。淡い緑色の丘が地平線の向こうまで続く雄大なパノラマ。不屈の精神で差別と闘ったマンデラの心の原風景だと実感した。
27年半、幽閉された闘士にとって、あの獄中の鉄格子の窓から見える小さな空が、このクヌの空に続く限り、彼の心は草原を駆け抜けた少年のように自由で希望に充ちていたのだろう。

「自由への長い道」マンデラの故郷に向かう旅
子ども時代のマンデラはこの地で多くのことを学んだ。「ここでマンデラさんはロバから落ち、友だちに笑いものにされました。その時、彼はこの屈辱的な思いを決して他人には味わわせてはいけないと思ったのです。闘いで一番大切なことは、ただ勝つことではなく、敗者が誇りを持って負ける方法を勝者が考える事だと、この経験から彼は学んだのです」案内の女性がそんな逸話を話してくれた。
このあと、未舗装路を車で1時間走り、ムベソという彼の生誕地まで足を伸ばした。深い谷を見下ろす斜面に、円形に石を積んだだけの生家の跡がわずかに残っていた。権力と富を求めなかったマンデラの生き様が顕れていた。
彼は95年の人生で「あらゆる人間の心の奥底には、慈悲と寛容がある」ことを示した。自叙伝「自由への長い道」で、「自由になるということは、自分の鎖をはずすだけではなく、他人の自由を尊重し、支える生き方をすることだ」と述べている。
For to be free is not merely to cast off one’s chains, but to live in a way that respects and enhances the freedom of others.
人間の憎しみの連鎖を解くことを訴えたマンデラは、また、自己の魂の高みを目指す生き方を教えた。
我々は自分に問いかける。自分ごときが賢く、優雅で美しく、才能にあふれた素晴らしい人物であろうはずがないではないか?
だが、そうあってはなぜいけない?
We ask ourselves, who am I to be brilliant, gorgeous, handsome, talented and fabulous?
Actually, who are you not to be?
南アの友人たちは、マンデラを失った悲しみよりも、彼への祝福を口にした。「マディバ(マンデラの敬称)は愛と誇りを教えてくれた。心から有難うと言いたい」「彼の人生は愛に満ちていた。たとえロベン島に囚われていた時でさえも」「マンデラという全世界の人々の英雄がこの世にいたことを、ともに祝おう!」
この日、日本では国民の知る権利を侵害し、主権を形骸化する特定秘密保護法案が参議院で可決された。
まずなによりも、自分に正直でありなさい。自分自身を変えなければ、社会に影響を与えることなど決してできません。偉大な平和の調停者はいずれも、誠実さと正直さ、そして謙遜さを兼ねた人たちです。
The first thing is to be honest with yourself. You can never have an impact on society if you have not changed yourself… Great peacemakers are all people of integrity, of honesty, but humility.
南アには人々が人種を問わず、うれしい時、悲しい時、共に歌う新生南アの国歌「Nkosi Sikele‘le Afrika」がある。人間の尊厳を高らかに謳った。邦題は「神よ、アフリカに祝福を」。
この歌には国家への従属ではなく、いのちの尊厳を守り抜く決意と、自らの魂への深い問いかけがある。
今、ささやかな自分にできることを「覚悟」を持って、続けていきたいと思う。
「愛」と「赦し」と「寛容」の人、マディバに神の祝福あれ。

ネルソン・マンデラ元大統領と盟友アルバティーナ・シスル夫人
posted by noriko-motooka at 10:00|
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