広島県呉市の江田島にある海軍兵学校はイギリス王立海軍兵学校(ダートーマス)、アメリカ合衆国海軍兵学校(アナポリス)とともに世界三大兵学校と呼ばれていた名門校でした。
昭和二十年(一九四五)の敗戦により大日本帝国海軍が消滅するまで七六年に亘り、多くの海軍士官(将校・少尉以上の職業軍人)を輩出したエリート養成学校です。
今回の掲載は太平洋戦争勃発の一年前に卒業し、開戦時には最前線に立った六十八期のドキュメントです。
激動の時代に生まれ、日中戦争のさ中に海軍兵学校を卒業。日米戦においては中核となって戦った六十八期は、戦日米戦時、兵学校の歴史の中で最も高い戦死率で、「悲劇のクラス」と言われています。六十八期のそれぞれの戦いと、背負った人生、残された者たちの物語を描きました。
終戦時、六十八期の戦死率は兵学校史上最も高く、水上艦五〇・四パーセント。潜水艦八〇パーセント、航空機七八・三パーセント。悲劇的な最期でしたが、彼らは掛け替えのない青春の時期を江田島の海軍兵学校で過ごし、濃密な青春の時期を希望と自負をもって生きました。
彼らは海兵最後の平時教育を受けたクラスでした。英国から英語教師を召喚し英語を学び、第二外国語は独・仏・中国・露を選択して習得。フランス式のテーブルマナーを学び、乗馬をし、学内で自由に自動車に乗り、「世界に通じる船乗りたれ」「軍人である前に紳士たれ」という英国風の紳士教育を受けたのです。
今回の掲載では、五人の生徒の鮮烈な短い生涯を追いました。
■本岡貞久少佐
殊勲の「伊一六五潜」「伊二十一潜」の士官として「マレー沖海戦」「キスカ奇跡の撤退作戦」などで活躍しましたが、日本海軍潜水艦戦の悲劇を体現していきます。
■鴛淵孝少佐 「零戦」「紫電改」を操り、海軍パイロットの至宝と言われましたが、終戦の三週間前、米艦載機約500機と死闘の末、未帰還となりました。
他に
■広尾彰大尉
緒戦で真珠湾特別攻撃隊に選ばれ、クラス最初の戦死者となり、「九軍神」の一人として祀られます。
■酒巻和男少尉
同じく真珠湾特別攻撃隊に選ばれながら、特殊潜航艇の不具合から座礁し、捕虜第一号となり、苦難の人生が始まります。山崎豊子の遺作『約束の海』の未完の第二部のモデルでもありました。
■山岸計夫大尉
クラスヘッドで六十八期の精神的支柱。将来軍を背負って立つことを嘱望されていたが、ベララベラ夜戦で艦と運命を共にしました。
この五人を中心に、五年に亘る取材を基に描いた海軍青年士官たちの魂に迫るノンフィクション。残された者たちの今に続く物語です。
posted by noriko-motooka at 11:26|
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