2011年03月16日

3.11 未曾有の震災

阪神大震災を体験したものとして
そして、今、関東に移住し二度目の激しい揺れを受けたものとして、
発生から五日間、言葉がみつかりませんでした。

一人でも多くの命が救われますように。
一刻も早く被災された方々のもとに救援の手が届きますように。

今日、嬉しい知らせを受けました。
被害が甚大だった岩手県の山田町で、私の大切な友人のお母さんが無事に避難所にいることがわかりました。彼女の母は八十九歳。艱難辛苦を生き抜き一人故郷で暮らしていました。海辺の家から不自由な足を引きずって杖をついて避難されたそうです。

メールを開いて泣きました。短い文章に故郷と母親への愛情が溢れていました。友人は女手一つで三人の子供を育てている穏やかな心優しい女性です。被災された方々と安否を気遣う家族の思いを伝えるために、彼女の了解を得て挿入させて頂きます。

「今朝いとこからの電話で、母の無事を確認できました。本岡さんに励ましのお電話を頂いてから、いつかきっとと思いながらも、なかなか夜も眠れず、テレビからのわずかな情報を頼りに過ごしていました。私が生まれて育った山田町は、小さいけれど平和な町でした。それがほんの30分ほどで津波に飲み込まれ、跡形もなくなってしまう恐ろしさ。悪夢のようです。町は消えましたが、母は生きていてくれたので、他に何も望みません。海に生きた母の強さを信じて、避難所生活の厳しさに耐えていかねばならないこれからの母の無事を祈り続けるしかありません。まずはいち早くお知らせしようと思いまして」

ライフラインが断たれたまま、彼女はまだ、お母さんの声を聞くこともできません。厳しく辛い避難所生活を生き抜いて頂きたいと思います。

*    *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *   *

死者・行方不明者一万三千人超が報道される中、この未曾有の災害から、一週間も経たたない内に東京のキー局の多くは、夜のゴールデン帯などを始め、徐々に一般番組に切り替わっています。
阪神大震災の報道は少なくとも関西準キー局エリアでは、三月二十日の「地下鉄サリン事件」までの二ヵ月は、震災報道が続いていました。

ライフラインが徐々に復旧され始め、人々が少しずつ希望を持ち始めた頃でした。一斉にTV画面が震災報道からサリン事件に切り替わった時、被災した人たちは大きなショックを受けました。「私たちはこれで忘れられる」と。この違和感を今のTVに感じます。
想像を絶する災害、被災者のもとに食糧さえ届いていないこの時期に、原発事故がまさに進行しているこの時に。TV・放送は一企業のものではありません。強い公共性を持ち国から認可されたものです。TVの速報性が今こそ必要なときに録画の娯楽番組が延々と流されることに強い違和感を覚えます。一千人単位で死者の数が報道されている時に、震災から四日や五日しか経っていないこの時期に、世界が「日本」を伝えている時に、ゴールデンタイムで娯楽番組を流し続ける国があるでしょうか?

今、TVに必要なことは、不安を煽る情報ではなく、冷静に現状を伝え、連絡の取れない被災者と安否を気遣う人々を繋ぐこと。TVカメラが現場に入ったら、生存を知らせるためにそれを求める一人でも多くの人たちの顔を映して欲しい。支援する人々の希望のメッセージを伝えて欲しい。その卓越した発信力で二つの隔たった場所を繋ぎ、支援の輪をさらに広げて欲しい。

世界でどのような惨劇が起こっていようと、それを伝えることができなければ、それは「なかった」ことになってしまいます。

被災した人たちが普通の生活を取り戻すまで、真の復興を遂げるまで伝え続けて欲しいと思います。今、TV報道の真価が問われています。

そして、日本の新しい未来を拓くために、愛と絆と再生のメッセージを伝えるために、一人ひとりが今できることをやっていくことしかありません。

想像を絶する震災を生きる多くの方々に深い敬意と命への畏れを抱きつつ。
posted by noriko-motooka at 22:44| コラム